来月の高座の準備で古事記や日本書紀を確認。 富雄あたりと桜井に同じ地名が散見されるのは何か理由があるのかなあと。 そんでもって、戦中には富雄駅が鵄邑駅という名前になっていたということを知ってびっくり。 村井康彦先生の本には長髄彦は邪馬台国の将…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。