前にも書いたかもしれないけれど。
折口信夫や柳田國男を最近読んでいると思うこと。
金曜日からか、「大立山まつり」が行われている。
本来、まつり、には鎮魂とか祈りとかの要素があるのではないかと思う。
そして、自然発生的に起こってくるものではないかと。
冬場に人が減るから、といって強制的に観光イベントとして「まつり」と名乗るのはどうかと思うし、宗教施設でもない大極殿で朱印というのは何なのかと思う。
奈良、という土地だからこそ考えなくてはいけないこともあるのではないか。
そんな気がする。
山焼きも私の感覚からすると成人式のあとだったよな、って。