秋篠・押熊界隈

 時間があったので、京北班田図に描かれた秋篠・押熊の名残を見てきました。

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 まずは秋篠寺から。図には秋篠寺とはなく、内教寺とあり、「秋篠」の文字はもっと北の位置に書かれています。

 内教寺と秋篠寺との関係はよくわからないようです。今の本堂の南側の林の中に礎石がみられ、それが図に描かれた本堂の位置とされています。図には「香水井」の文字も見え、今のお寺にも香水閣があります。

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 敷島。この辺りに「阿弥陀山寺」の文字が見える辺り。以前に発掘され礎石建物や塼仏が確認されています。

 図には「院池」とある乾池は通って見ただけですが。

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 乾池の少し東側を通る直線道路。二条二里丸部里の35坪と36坪の通りを分ける地割の名残の道路。

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 その道路が南に続いた、二条一里の35坪、36坪の坪境の部分。秋篠寺の前あたり。

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 この直線道路は一条三里と二条三里の境の遺存地割。

 ほんとまっすぐに残ってるなあと実感しました。

  

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 最後は「秋篠」の「外山」あたり。

 後に西行が「秋篠や と山の里や」と生駒を見て詠んだのはこの辺りだったのでしょうか。

 生駒がうっすらとみえました。

 なかなか楽しかったです。