なぜ土師器と須恵器に同じ器種が・・・

 明日は奈良時代の土器の話をする日。

 現場で頭の中で予行演習をする。

 ふと思う。

 法量の規格性や同一器形の法量による器種分化は金属器の模倣で説明はできるかもしれない。

 でも、須恵器と土師器の互換性は・・・。

 「互換性」をどういうふうに理解すればいいのか、それがあるとしたら、なぜ「互換性」が必要だったんだろうなあ。

 この互換性についてはよく言われることだけど、よくよく考えると、「互換性」に該当するのは杯A・Bくらいで、土師器杯Cや椀Aは須恵器にはない。まあ、土師器杯AとCを当時の人々が区別していたかどうかも疑問は残るけど。須恵器の皿Cも全く同じ作りのものは土師器には見あたらないように思う。金属器写しといっても、土師器椀Aは土師器だけだし、須恵器杯E・Lは須恵器にしかない。今後見つからないとはかぎらないけど。同じような形で口径・器高が同じようであれば、「互換性がある」といってもいいのだろうか。西さんはそういうつもりで書いたのだろうか。

 あわてて平城山の学兄の「土師器に憧れた須恵器」を読み始める。

 話は明日。時間がない。どうしよう・・・。

 そうしながらも、ネットのニュースを見てしまう。

 そしたら、近藤先生が亡くなっていたとのこと。Yさん、しってたのかなあ。